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1642年にオランダの探検家「アベル・タスマン」(Abel Tasman)によって船上から発見されました。アベル・タスマンの
サポーターにちなんで”バン・ダイメンズ・アイランド(Van Diemen's Island)と命名されました。1803年にイギリス帝国
がタスマニアを支配下に置くまで、この島は欧州人にとってオーストラリア大陸以上に未知なる土地でした。
見たことのない不思議な動物達、開拓を拒み続ける密林と原生林、そして、先住民(タスマニアン・アボリジニ)。
侵略・植民地的支配の悲劇と共に、労働者や移民が奮闘していた逸話が常に共存しています。欧州の面影ある地を
南半球の大陸で見つけた開拓者は、故郷と同じような生活環境を作りつづけておりました。大自然に包まれているタス
マニアの史跡の数々からは、何もない場所から人がコツコツと1軒、1軒、造り上げていった力強さを感じることでしょう。

ロス・ブリッジ、ポートアーサー史跡、ロスの街

アベル・タスマン(タスマニア発見)
1603年 - 1659年10/10
トゥルガニーニ(T.アボリジニ)
1812年 - 1876年5/8
最後の純潔アボリジニ

タスマニアには開拓時の歴史残る建物が街のあちこちに見られます。建造物の歴史は200年前後からで遠く故郷のイギリスを想うかのように、ビクトリア調、ジョージアン・スタイル、フェデーションスタイルの建築物が建てられました。木々や植物も開拓時にイギリスから運んできているそうで、さながら小さなイギリスといった感じがします。開拓時代タスマニアの大自然の荒野を欧州人の性に合わせ、イギリス・ヨーロッパの田舎街のように経てられている、、、。とタスマニア人に聞いたことがあります。

1642年にアベル・タスマンが島を発見した後、1777年にはキャプテン・クックがタスマニアを発見。その後、次々にヨーロッパの探検家がタスマニアを視察しはじめました。
西洋人の本格的なタスマニア開拓が開始したのは1803年。英国人ジョン・ボーエン大尉率いる小さな組織がシドニーからホバートに入港してからです。

タスマニア開拓の初期時代は、囚人と軍隊が農地開拓や道路・建築物を造り上げていきました。
1830年にポートアーサーには刑務所が設立され、全盛期の1840年ごろには2000人の囚人が労働する収容所になり、島内の橋や教会、学校など、多くの建築物をも囚人の手によって建築されてました。

生活環境が整うと、タスマニア島への一般西洋人の移住(16.2万人)がはじまりました。「囚人がいる島」という不服・苦情が多く、金塊の発見されたことも重なり、1853年以降は囚人の護送が停止状態に。必然的に、ポート・アーサー収容所の高齢化が徐々にスタートしました。経費も非常にかかることから、1877年に47年間に渡って続いた収容所は終止符を打ちました。

タスマニアン・アボリジニ
オーストラリア大陸ではアボリジニが有名ですが、タスマニアに原住民が19世紀まで島内で生活をしていました。西洋人が植民地化する3万年以上も前から、外部との接触が全くなく独特の文化と習慣を守ってきました。タスマニアが発見された時には、約4000人のタスマニアン・アボリニがいたと言われています。大昔はオーストラリアとアジアが陸続き、もしくはかなり近距離だったと学術的には言われてます。その陸続きの時代に、インドネシア方面からオーストラリアへ渡った原住民が、タスマニアに住み着き、月日を重ねてオーストラリア大陸とタスマニア島が分離され、タスマニア原住民は完全に外部との接触が絶たれた・・・と考古学的な見地で言われています。


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